クオリアの話。
ちょっと気難しい。
ひねってるから、本題とは離れます。
クオリアそのものの話は、他で分かりやすいのがあるので、
そちらでどうぞ。


Aさんの林檎の赤、Bさんの林檎の赤
同じ林檎、はたして二人の赤は、同じ赤か?

パソコンのグラフィックソフトで色管理された赤も
そのCYMKもしくはRGBなんて、人の目には意味がない

もしあなたが、数字で表す色に好きか嫌いか言っても、
それがこの世のすべてじゃない
でも、好きじゃなくても、好きと言えば、自分以外は
好きだと認識する

色から離れて、人にする、物にする、世の中にする
何か普遍的話題で、難しさは消える

AさんにとってのCさん、BさんにとってのCさん
初対面でも違うでしょう
当たり前です
解釈項が違うんですから
解釈項は、脳の作用なんじゃないかな・・・


あぁ、眠い


コメント

kaj
2008年9月12日8:45

たぶん必要とされているのは、
AさんにもBさんにも「同じ林檎の赤」を見せていると言う事実を証明したいと言うことなのでしょう。
だからこその数値であったり色チップ指定であったりする訳で、反射光を実際にどう感じ取れるかって事は別の問題です。
そして、AさんもBさんも「同じ林檎の赤」を見せられているのだから「普通」ならば同じ反応をしなければならないという暗黙の強制が発生していると言うことなのでしょう。
群れの中で「王様は裸だ」と口にした子供は、其処にどんな意図があろうとも無かろうとも、群れに塗りつぶされるでしょう?

あまり気分の良い話ではありませんが(~_~)